vol.21(2018年6月号)

このメールは、弊社とお取引いただいているお客様、名刺交換をさせていただいたお客様にお送りしています。
『職場のLGBT読本』の著者である後藤純一が、LGBTについての基礎知識や、LGBTと企業との関わり、世界のLGBT情勢、そしてLGBTインバウンドなどについて「へええ」となるような情報をお届けしてまいりたいと思います。

<<INDEX>>

 

1. 東北×LGBT(1)私が東北で暮らしていた頃
 
2. 東北×LGBT(2)故郷を帰れる街にしたい
 
3. 東北×LGBT(3)東北6県でのセミナー
 
4. 東北×LGBT(4)青森レインボーパレード
 
5. おしらせ
 
6. 今月のLGBTニュース

1. 東北×LGBT(1)私が東北で暮らしていた頃
 
 これまで全国各地(沖縄や大阪や群馬や千葉など)でセミナー講師としてお話させていただく機会があったのですが、このたび復興庁選定事業「目指せ!ダイバーシティ東北」の一環で東北6県でLGBTツーリズムセミナーを実施することになり、ついに今月、生まれ故郷の青森でゲイとしてお話させていただきました(故郷に錦を飾った…かどうかはわかりませんが)。そして6/24には念願の青森レインボーパレードに参加することができ、実に感慨深い体験となりました。そこで今月は、特集「東北×LGBT」として、4章にわたって(長くてすみません!)東北のことをお送りします。もしかしたら東北にはあまり関心がない方もいらっしゃるかもしれませんが、地方に住むLGBTの生きづらさの問題を考える意味でも、復興支援の意味でも、ぜひ気長におつきあいください。
 
 まず最初に、背景として、1970~80年代という時代、青森という(吉幾三さんが「テレビもねえ、ラジオもねえ」と歌ってましたが)田舎の代名詞みたいな場所でゲイとして生まれ育つということがどういう意味を持っていたのか、そのリアリティについて知っていただきたく、私の小学校~高校時代のこと、セクシュアリティの目覚めと苦悩について、書かせていただきます。
 
 私は、1969年に青森県の弘前という街で生まれ、高校卒業まで弘前の実家で暮らしていました。
 小学生のときはそれはもう、絵に描いたような…言葉遣いも女子っぽかったですし、女子がやるような遊びを好み(ピンク・レディーの真似とか)、同級生に「おかま」とからかわれ、なよなよしすぎていて先生に「それでも男か!ピシッとしろ」と怒鳴られたりしていました。
 人生最初の危機は、中学進学の際に訪れました。市内の中学は「男子は全員、丸坊主」という時代錯誤な、人権侵害も甚だしいルールがまかり通っており、私は当然のように弘前大学附属中学に進み、危機を回避しました。
 中学時代、女子が家庭科で料理をつくっている時に金属加工や木工をやらされたことにひどく悲しい思いをし、同級生の男の子(野球部のキャプテン)に初めて恋をして、決定的にゲイ…という言葉は知りませんでしたが、自分は周囲の男の子と違うんだ、と自覚し、とても悩みました(もちろん、告白なんてできませんでした)。文化祭が盛んな学校で、クラス対抗の合唱やダンスのコンクールがあり、指揮者や振付師として活躍し、そこに自分の思いをぶつけました。テレビで宝塚音楽学校入学の喜びを語る女子たちの姿を見て嫉妬し、将来は劇団四季に入りたいと思い、毎日柔軟体操したりしてました(東北の田舎でも四季の公演がありました。ゲイの役が登場する『コーラスライン』を観たのがその頃だったかどうか…記憶が曖昧です)
 高校では、女子がダンスをやっているかたわら、器械体操や柔道をやらされたことが本当に屈辱的でした。この頃、「同性愛は異常、性的倒錯」と書いてある心理学の本や、ランボーの『地獄の季節』などを読み、自分は異端者で、地獄の業火に焼かれる運命で、この先、世間の人たちに後ろ指をさされ、幸せにもなれず、生きててもいいことはない、未来などというものはないと、絶望しました。厭世的な気持ちをつのらせ、成績も下がっていき、ただ部活(吹奏楽部)で楽器を吹いている時が唯一の気晴らしでした。しかし、高2のとき、市内の本屋で偶然、ゲイ雑誌に出会い、一筋の光明が差しました。東京や大阪に行けばそういう街があって仲間に出会えるということがわかったのです。一刻も早くこの街を出て都会に行かなければ…と切望するようになりました。そして、家を出るための口実として、弘前大学ではなく京都大学に行く、と親に伝え、猛勉強を始めたのです…。
 
 振り返ってみると、小中高を通じて(成績がよかったせいかもしれませんが)深刻ないじめに遭ったことはありませんでした。実は、何人かの友達にはカミングアウトしたのですが、彼らは(一橋大学のあの事件のようなことはなく)裏切ったりせず、秘密も守ってくれたし、その後も変わらずいい友達でいてくれました。今考えると、そんないい友達たちのおかげで、ホモフォビアという病に侵されることなく、すくすくと…いろんなことを素直に受け容れ、肯定し、コミュニティを愛することができたのかもしれないな…と思います(この場でお礼を言います。ありがとう)
 学校生活で本当につらかったのは、世の中のあらゆる書物に(広辞苑にも)「同性愛は異常だ」と書かれていたこともショックでしたが、やはり、男だからと丸坊主にされかけ、器械体操や柔道をやらされたことでした(今もそうなんでしょうか…)。男/女の性別で分けるシステムの不条理です。ゲイですらそうなのですから、MtFの方はどんなにか苦しかったことでしょう…。
 親戚が本家に集まると、男たちは居間で酒を飲んだり花札をやったりして過ごし、女たちはみな台所にいて料理をつくるというふうにきっぱり分かれていました。高校も(公立の進学校でしたが)女性の定員があらかじめ少なく設定されていました。社会のいろんなところで、男尊女卑が構造化され、結婚して当たり前とみなされていました(言い換えると、ヘテロセクシズムに支配されていました)。ゲイやレズビアンがカミングアウトして生きていく余地はなかったと思います。周囲に誰も、そんな人はいませんでした。

2. 東北×LGBT(2)故郷を帰れる街にしたい
 
 青森駅前で「Osora ni Niji wo Kake Mashita(通称そらにじ)」というLGBTフレンドリーなカフェをやっている翔子さんという方が、昨年の東京レインボープライドで「故郷を帰れる街にしたい」というプラカードを掲げ、多くの方たちの共感を呼んでいました。
 男尊女卑の古い体質で、結婚圧力が強く、カミングアウトもできず、ほとんどの当事者が不本意ながら異性との結婚を余儀なくされているという現実があり、シェルターではないですが唯一ホッとできる、自分らしくいられる場所であるはずのゲイバーすら地元になかったりする(弘前には1軒もありません)…そんな故郷の街を出て、都会を目指す人はとても多いのです。本当は生まれ故郷の街を愛している、でも、とてもじゃないけどLGBTが生きていける街じゃないから、帰りたくても帰れないと感じている人がとても多い、なんとか故郷の街が「帰れる街」になってほしい…そういうメッセージです。
 
 翔子さんや私よりも上の世代になると、もっと過酷です。
 松坂慶子さんがテレビで「BON VOYAGE」という歌を歌ったのをご存じの方もいらっしゃるかもしれません。二丁目でゲイバーをやっている東北弁のママの物語で、親には絶対に言えない、けど、故郷に帰りたい…と時々言っている、そんなママが、ある日、岩手の実家の前で行き倒れになっていて、その上に雪が積もって…松坂慶子さんが泣きながら語ったあと、東北弁でボン・ボヤージ~と歌うのです。二丁目では号泣必至の名曲として語り継がれています。
 16日に放送された「Love 1948-2018 ~多様な性をめぐる戦後史~」では、カルーセル麻紀さんが、当時ゲイバーで働いてた人たちは(明るい顔で接客してたかもしれないけど)みんな故郷に帰れず、戸籍も抜かれて、やがて無縁仏になって…と語っていました。東北出身の方もたくさんいらしたと思います。「BON VOYAGE」の世界は作り話ではなく、真実だったのです。
 そりゃあ生まれ故郷のことを、みんな愛してるし、できれば帰りたいと思っている、けど、とてもじゃないけど生きていけないから、帰るなんて無理だから、無念の気持ちを抱えて、二丁目で働いていたのです。
 
 ゴトウも、そんなママさんに近い感覚でした。青森では生きていけないから都会に出て、大学はいちおう出たけど、結婚して出世コースを歩むということは考えられなかったので、最初に勤めた会社も4年でやめて、ゲイ雑誌の編集をやるようになったのでした。
 時代は90年代。ゲイとして、レズビアンとして生きていけるのは、都会で働いて、二丁目のコミュニティに所属できた、ごくごく限られた人たちだけだったと思います。ゴトウはゲイシーンの中心にいて、読者に「パレードを歩こう」と呼びかけたり、変わりつつある時代を牽引するような仕事をさせていただけて、とても幸せでした。でも心のどこかで、自分だけが、生きづらい田舎をうまく脱け出していい思いをしているんじゃないか、生まれ育った故郷のことなんてこれっぽちも考えていないんじゃないか、そういう引け目を感じてきました。
 翔子さんが青森で「そらにじ」を始めた頃、母親と妹をお店に連れて行ったことがありました。地元に帰ることはないけど、何か東北のためにできることがあるなら…という気持ちは持っていました。一時期は毎年、仙台でゲイナイト開催のお手伝いをしていましたし、裏磐梯のグランデコのLGBTイベントもお手伝いしました。
 故郷を帰れる街にしたいという気持ち、復興支援の気持ちで、できる範囲のことをしてきました。

3. 東北×LGBT(3)東北6県でのセミナー
 
 6月14日から20日にかけて、仙台を皮切りに、東北6県でLGBTツーリズム・セミナーを実施いたしました。ツーリズムについては弊社の小泉が、「目指せ!ダイバーシティ東北」の趣旨については新通の武田様がお話して、私はLGBTの基礎知識について約1時間、お話させていただきました。
 
 この東北でのセミナーにあたって、私はこれまでの集大成とも言えるベストな資料を作り、毎回、心をこめて語りかけるようにお話させていただきました(「一話入魂」的な)。今こそ自分がやってきたことを役立てる時だと思い、故郷を帰れる街にしたいという気持ち、復興支援の気持ち、祈るような気持ちで、お話を差し上げたのでした。
  
 1章で述べたような、私の青森時代のヒストリーも特別にお話しました。
 たぶん、東北の人は、シャイだけど、あたたかくて、いい人たちが多いです。ただ、男尊女卑的な古い考え方、異性愛規範が色濃く残っています。そこを乗り越えて、LGBTとのつきあい方のポイントを心得れば、すごくいい感じになると思うんです。そういう意味で、海外のLGBTの方たちを魅了するポテンシャルを秘めていると思います。と申し上げました。
 
 ものすごくたくさんの方が来てくださったわけではないですが、みなさん真剣に聞いてくださいましたし、熱心に質問してくださる方もいらっしゃいました。なかには「とてもよかったです。よくぞ言ってくれました、という気持ちです」と言ってくださった当事者の方もいらして、感無量でした。
 
 「故郷を帰れる街に」するのは、本当に大変なことですが、それに比べたら、海外のLGBTの方が気持ちよく旅行できるようになること、というのは、実現可能だと思います。まだまだこのプロジェクトは始まったばかりですが、ぜひ東北のみなさんのご賛同をいただき、これからいっしょに、いい方向に進んでいけたらうれしいです、という気持ちです。
 
 福島のセミナーではNHKの方が取材に来て、ニュースにしてくださいました。青森では、青森朝日放送の方が取材に来てくださって、なんとそのディレクターさんの隣の席で働いているのが僕の高校の時の友達だったということがわかって、うれしくなりました(彼にはまだ再会できていないのですが、私のことを思い出して、懐かしいと言ってくれたそうです)
 
 最終日、青森から秋田へ、特急「つがる」で移動しているとき、浪岡を過ぎた辺りで、田んぼの向こうに岩木山が見えてきました。どっしりしていて、山頂が山の字の形になっている、津軽富士とも呼ばれる美しい山です。かつて毎日、岩木山を眺めながら暮らしていて、登ったことも何度もありますが、そんなふるさとの山が見えてきたとき、言いようのない思いがこみあげてきました。弘前駅に到着して、30年前、家を出て京都に向かう僕を、家族が総出で見送りに来てくれたときのことを思い出したりもして。あの時は、石川啄木の「石をもて追はるるごとく ふるさとを」ではないですが、逃げ出すような気持ち、「故郷は僕を受け入れてくれなかった」という気持ちでいっぱいでした。でも、今は違います。「育ててくれて、ありがとう」と思えました。

4. 東北×LGBT(4)青森レインボーパレード
 
「レインボーパレード 170人、多様な性の尊重訴え 青森」という記事をご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、24日、青森市の駅前で第5回青森レインボーパレードが開催されました。
 最初は、東京から青森に帰ってきて「そらにじ」を始めた翔子さんが、パートナーのおかっちと、もう1人の方と、たった3人で、駅前のアーケードを歩いたそうです。しかし、次の年は24人になりました。その次の年は45人になりました。昨年は東京などからも応援に駆けつけ、ついに100人を超えました。今年、青森駅前公園に集まったたくさんの人たちの姿を見て、おかっちは最初の挨拶の時点で、胸を詰まらせていました。東京や北陸、東海、関西から駆けつけた方たちもあわせて、約170人もの人たちが集まってくれたのです(同日開催のニューヨークプライドの1万分の1の規模かもしれませんが、歩いた一人一人の思いはきっと同じですし、どちらもかけがえのないパレードであることに変わりはありません)
 一瞬、雨がポツポツ降ってきたりもしましたが、歩きはじめる頃にはすっかり晴れて、絶好のパレード日和になっていました。パレードの一行は、スピーカーを積んだ特設の「フロート」に先導され(「りんご追分」にメッセージを乗せた、かなりちゃんとしたオープニングの音源からスタートし、クイーン、レディー・ガガ、マドンナといったみんなが大好きな音楽がかかっていました)、ニコニコしてて優しいおまわりさんの交通指導のもと、堂々と市内随一の目抜き通りを歩き、晴れやかに、ピースフルに、カラフルに行進しました。
 翔子さんたちは、メッセージを読み上げながら歩きます。「この青森の街にも、セクシュアルマイノリティの人たちがいます」「この街で生きることを苦しいと思っている人もいます。だけど、この街でパレードを歩く仲間たちがいます。きっとだれかに、ひとりじゃないって伝わるよね」「このパレードを歩いてくれているみんなが、日々、闘っているということを知っています。その闘っている姿を、今日、青空の下、笑顔に変えて、共に歩きます」
 翔子さんは、実は今、がんの治療をしています。「病院で同性のパートナーがいるということをなかなか理解してもらえませんでした。同性のパートナーにも手術や治療の方針を聞く権利を。同性のパートナーにも緊急連絡先として連絡がいくような仕組みを」というメッセージを聞いて、目頭を熱くする参加者の方もいました。
 県庁の建物、マンションの一室、将棋のお店…いろんな窓から手を振ってくれる方たちがいました。駅前のお寿司屋さんなんて、全員外に出て来て、応援してくれました。
 歩き終えて、みんなで記念写真を撮って、解散となりました(私と翔子さんたちは、青森朝日放送の取材を受けました。放送日は未定ですが、特集のような形で放送されるようです)
 青森でもこんなに素晴らしいパレードができる、5年やれば、ずいぶん変わる、きっとどの街でもできる、ということを、彼女たちは証明してくれました。心から拍手を贈りたいです。感謝しかありません。
(しかし、翔子さんの病気のことも関係あるのかもしれませんが、パレードは今年で最後になるそうです。受け継いでやってくれる方が現れたら、存続されるそうです)
 
 夕方から市内のクラブでアフターパーティが開催されました。パレードの余韻にひたりながら、ライブを聴いたり、飲み食いしたり(フードが充実してて、ホタテを山ほど食べれたり。おもてなし精神が素晴らしいと思いました)、いろんな交流が生まれていて、本当にいいパーティでした。ゴトウは、五所川原(弘前の近くの街)出身のゲイの子と知り合い、彼の案内でゲイバーに行ったのですが(若い子が集まるお店に2軒行きました)、どのお店も当たり前のようにパレードのポスターが貼ってあり、実はお店の方もパレードを歩いたりしていて、素晴らしいと思いました。ちゃんと地元で出会いもあるし、コミュニティもある、この街で生きていける、と感じました。まだまだ閉鎖的だったり、何もなかったりする地方も多いなかで、青森がこんなにもオープンでいい街になっていたなんて…。生きている間に果たしてそんな日が来るだろうか?と(同性婚と同じように)思っていただけに、その感慨は、筆舌に尽くしがたいものがあります。
 
 「早くこんな町から出たい、都会に出て幸せになりたい!」と心で叫んでいた30年前の自分に、こう伝えたいです。「大丈夫。いつか青森が「帰れる街」になるよ」「すべてが『よかった』と思える日が来るよ」

▼青森レインボーパレードの集合写真

4. おしらせ
 
 OUT JAPANからのおしらせです。
 

オープンセミナー「採用×LGBTフレンドリー」 

 採用現場にフォーカスし、LGBTに関する配慮を学べるオープンセミナー「採用×LGBTフレンドリー」を開催します。面接でカミングアウトを受けた際にどう反応していいか困り、悪気はないものの相手に対して失礼な発言をしてしまい企業イメージを損ねてしまうということが多々起こっていますが、具体的にはどのような対応が望ましいのか、がわかります。LGBTフレンドリーを表明することで今や採用難となっているエンジニア職の採用に成功した、とあるIT企業の人事の方がゲストとして来てくださいます。
 
日程:7月23日(月)14:00~17:00 
場所:アウト・ジャパンセミナールーム(東京/市ヶ谷駅より徒歩約10分)
対象:LGBTに関する社内施策等にご興味のある企業の経営トップの方、ご担当者

参加費:無料
詳細:http://www.outjapan.co.jp/event/18.htm

 

オープンセミナー「LGBT社内施策の進め方」

 LGBTに関する取り組みを始めようと考えている、すでに始めている企業を対象にしたセミナーです。
LGBT社内施策にはどのようなものがあるのか、どのように進めるか、他社事例も交えながら紹介します。
 
日時:7月26日(木)14:00~17:00
会場:株式会社アウト・ジャパンセミナールーム(市ヶ谷駅より徒歩約10分)
対象:LGBTに関する社内施策等にご興味のある企業の経営トップの方、人事、採用ご担当者
参加費:無料
詳細:http://www.outjapan.co.jp/event/11.html

5. 今月のLGBTニュース
 
 今月のニュースを一覧でお伝えいたします。
 
◆今年の「PRIDE指標」の概要が発表、work with Prideセミナーは10月11日(木)に東京ミッドタウン日比谷で開催 
http://www.outjapan.co.jp/lgbtcolumn_news/news/2018/6/2.html
 
◆同性パートナーシップ証明制度の導入を求める会が全国27自治体に一斉請願を行いました
http://www.outjapan.co.jp/lgbtcolumn_news/news/2018/6/1.html
 
◆米最高裁が同性婚を祝うウェディングケーキの制作を拒んだ事例を差別だと見なす高裁判決を破棄、「信条の自由vs同性愛者の権利」については判断を先送りに
http://www.outjapan.co.jp/lgbtcolumn_news/news/2018/6/3.html
 
◆トニー賞授賞式で『エンジェルス・イン・アメリカ』に主演したアンドリュー・ガーフィールドがLGBTに捧げる感動のスピーチを披露
http://www.outjapan.co.jp/lgbtcolumn_news/news/2018/6/4.html
 
◆「LGBTの戦後史」という壮大なドキュメンタリーがEテレで放送
http://www.outjapan.co.jp/lgbtcolumn_news/news/2018/6/5.html
 
◆長崎市でも同性パートナーシップ証明制度が導入されることになりました
http://www.outjapan.co.jp/lgbtcolumn_news/news/2018/6/6.html
 
◆エリザベス女王のいとこが英国王室初の同性婚へ
http://www.outjapan.co.jp/lgbtcolumn_news/news/2018/6/7.html
 
◆WHOの「国際疾病分類」が改訂され、性同一性障害が「精神疾患」から外れることになりました
http://www.outjapan.co.jp/lgbtcolumn_news/news/2018/6/8.html
 
◆名古屋市が同性パートナーシップ証明制度の導入を検討
http://www.outjapan.co.jp/lgbtcolumn_news/news/2018/6/9.html
 
 
 今月もいろんなニュースがありました。
 「PRIDE指標」、ぜひ応募しましょう。
 長崎市、そして名古屋市が同性パートナーシップ証明制度の導入を発表しました。一斉請願も、きっと大きな実りをもたらすことでしょう。来年には、同性パートナーを家族として認める自治体に住む人の人口が1200万人を超える(約10人に1人となる)のではないでしょうか。
 「LGBTの戦後史」、ご覧になったでしょうか。ここまで来るには、勇気ある先人たちの、血のにじむような闘いがあった、ということ。とても大事なお話だと思いました。大塚隆史(タック)さんはゴトウが尊敬する偉大な先輩の一人です。いつかそのお話をみなさんに聞いていただく機会を設けたいと思っています。
 
 さて、今月も長々とした原稿におつきあいくださり、ありがとうございました。
 夏はもうすぐそこ、と思わせる今日この頃ですね。7月にはレインボー・リール東京(映画祭)もあります。三連休、お時間ある方はぜひ、表参道のスパイラルにお出かけください。
 
  
※これまでのLGBT関連のニュースの一覧はこちらです。
http://www.outjapan.co.jp/lgbtcolumn_news/news/

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